設題2)欧米やアジアの主要国の社会保障について国際的に比較し、今後の方向性について論じなさい。
現在、世界の社会保障の政策は以下に述べる四つに分けることができる。
・福祉国家型
これは「ゆりかごから墓場まで」の徹底した福祉を目指したイギリスやスウェーデンに代表されるモデルであり、国民の失業をなくし、完全雇用を目標とし、手厚い社会保障を行う政策である。しかしその財源となるのは税金であり、国民が負担しなければならない税金はかなり高額である。高齢化や少子化など、社会の問題と共により効率の良いサービスが提供できるように繰り返し改革を行っていることも特徴のひとつである。
・社会保険型
税金を財源とするのではなく、社会保険制度内で社会保障を行う政策である。我が国も介護保険制度の開始により、このモデルに属してきているといえる。欧米やドイツがこのモデルの代表といえ、1883年にドイツで疾病保険法が制定されたのが始まりである。欧米では、年金保険と医療保険の二つで社会保険が構成されており、この他にも失業保険等、社会保障の中核が社会保険であり、公的なものの他にも民間、非営利的なものまで様々な保険が存在している。しかし、欧米の民間・非営利的な社会保険は高額なものが多く、一般国民は加入していないというのが現状である。
・自助努力型
このモデルは、基本的には最低限どの社会保障しか行わないことを方針としており、その基となっているのが、貧困に苦しむのは国民個々の自らの努力が足りないからであるという国民意識であるといえる。移民が中心となり、多民族・多国籍国家色が強かったアメリカは、個人を尊重し自助努力を重視した国の代表であったといえる。現在、このモデルの代表とされる国は東南アジア一の経済発展国であるシンガポールが挙げられる。しかし、多くの国民は、個人で民間保険に加入していることで自衛しているのである。自助努力で生活が困難な場合のみ政府が保障を行っているが、国民意識としては政府から援助を受けることは「恥」であるとして浸透しているようである。政府自体は政府の役割は福祉では� ��く経済成長であると述べているため、公的扶助を中心とした社会保障制度しか存在しないのである。
・その他
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これは、社会保障を行うための財源が不足している国々で、経済状態が非常に悪く国自体が貧困である故、社会保障をできない国々が挙げられる。東南アジアの国々に多く、他国からの援助を受けても満ォした暮らしができない国々もあり、国家間の貧富の差は世界の問題として大きく掲げられるようになってきている。東南アジア諸国では、身体のハンディー・キャップを持つものが多く、家族や地域の者が援助を行うものと捉えている。その結果として、使節福祉が充実せず政府が無関心なため、富者が資金を出して民間施設を設立しているケースも少なくない。いずれにせよ、この枠に属する多くの国は、国自体の財源がなく社会福祉にまで手が届かないというのが現状なのである。
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以上のように、社会保障には様々なタイプがあり、国民意識や文化・歴史、国の経済状況により在り方が異なっているのである。アジアを代表する我が国は、戦後の低迷した国民の経済状況や公衆衛生、不労者問題等、様々な問題を解決すべく、スウェーデンのような福祉国家を目指し、充実した社会保障を実現させようと努めていた。しかし、経済が急速に発展し、、当初税金でカバーしていた財源が、バブルが崩壊し国家も国民も財政困難に陥ったことから、事態は一変してしまった。手厚い保障を実施していくことは困難となり、福祉国家を理想としたものの、社会保険制度を導入しその枠内で社会保障を行っていくしか方法はなかった。また、前述したようにバブルが崩壊し、消費税の導入、増税、タバ� ��税・酒税の増税、他各種税金が増税し、国民意識も高額な税金を支払わなければならない福祉国家型より、保険内で支払った者は保障される社会保険型へと変化してきたのである。以上のようなことが背景にあった結果、少子高齢化等の社会問題もあいまって、介護保険の導入や医療保険制度の改正が行われた。このことにより、日本国民はある意見、自助努力を行わなければならないという結果になってしまったのであるが、厳しい経済状況で国民の生活を保障していくために、様々な検討がなされた中での最も有効な方法であったといえる。しかしながら、我が国は今後も少子高齢化は悪化していく一方であることは間違いなく、経済状況を回復させるための確実な改善策も定まっておらず、見通しがたっていないのが現状である。� �んな中で我が国の失業率は過去最高となっており、毎年増加していく一方である。このような状況の中で、失業保険の見直しも含め、これまでの歴史を踏まえた上で、どのように困難を回避してきたか、これまでの他国を見本とし真似ていくだけでは何も変わらないであろう。他国の様々な社会保障の制度や方法を研究し参考としていくのは非常に重要であり、それを応用していくことも時には有効であるが、我が国は他国に例を見ない高齢社会である故、独自の方法で社会保障を見つめ直さなければ、状況は回避できないであろう。後に世界の各国も、我が国のように高齢社会に突入してくるのであり、いずれは我が国が見本となる時期が訪れるであろう。そのためにも、我が国の経済状況や国民性に沿った社会保障政策を考案していく 必要があるのではないだろうか。しかし、最も変わっていかなければならないのは、国民の考え方であり、この点も他国と大きく異なっているといえる。我が国の国民の税金・保険料に関する考え方の傾向として、「無駄な出費」ととらえている者が多い。しかし、保障は万全に行ってもらわなければ困るという考えがあり、ここまで国家に依存している国民性は他に類を見ない。それ故、施行後4年が経過したが介護保険は、国民が今後の社会保障に関心を引き寄せる良いきっかけになったといえる。経過は賛否両論であるが、個人個人が今後どのような方針をとっていったら良いか、見えてきたのではないであろうか。福祉国家を目指していくのか、それとも保険方式で自助努力に委ねていくのか、積極的に選択し、国家は国民の意見� ��充分に受け入れていくことが望まれる。
最後にどの国を見ても、あまり歴史上の制度をくつがえすような転換をしている国はない。それは、その国の経済状況などその国の在り方にあまり変化がないためであるが、我が国ほど歴史上、起伏の激しい展開を経ている国はなく、そういった面でも先進国として、国民全員が社会保障の本質を充分に理解し、今後の動きを明確にしていくことが望まれている。
<参考文献>
1996年4月5日発行 柴田 嘉彦 著
「世界の社会保障」
1995年3月10日発行 小林 明子 著
「アジアに学ぶ福祉」
「北海道新聞」(介護保険特集)
1987年9月25日発行 社会保障研究所 編
「スウェーデンの社会保障」
↑こちらのレポートは不合格でした。
右側が改訂版です。
一応、ダメな例の参考例として(笑)
設題2)欧米やアジアの主要国の社会保障について国際的に比較し、今後の方向性について論じなさい。
社会保障という言葉が最初に用いられたのは、世界大恐慌に苦しみ多くの失業者の生活難が社会問題となったアメリカで、1933年に大統領に就任したルーズベルトがニューディール政策の一環として行った「社会保障法」である。この世界最初の社会保障法が成立したのは、1935年のことであるが、それ以前は一般労働者を対象とする社会保険は存在せず、アメリカでは従来、一般に生活問題の解決は慈善団体や共済組合などの民間機関や、州政府や地方性などの地方機関に委ねられ、特に州という行政区分はこの頃より確立しており、州と連邦政府との関わりというものが社会保障制度に大きな影響を及ぼし、連邦政府が解決に乗り出すまでに時間がかかったのである。このような国家の思想の相違は、社会保障においても我が国をはじめとする諸外国とは異なった制度を確立する要因となっているのである。このようにアメリカのみならず各国の社会保障制度は、長い伝統や支配的な価値観を基に、各制度から国民性が伺うことが出来、広く理解してもらうためには不可欠なのである。世界的な� ��潮や他国での経験や実験を参考にしながら形成され、具体的な方法は多様である。
我が国を含むフランスやドイツ、スウェーデンなどでは社会保険は保険料を徴収し主にそこを財源として賄うが、アメリカでは年金保険において保険料方式ではなく租税方式をとっている。アメリカのもう一つの大きな違いは一般医療保険が制度化されていない点であり、65歳以上の高齢者と一定の障害者に対して連邦政府による「メディケア」という公的保障があり、また低所得者を対象に州政府が実施する「メディケイド」という公的保障が存在し、これらは皆保険化されていないのである。
現在、メディケアは高齢化に伴い、医療費が増加傾向にあり、給付年齢を現行の65歳から67歳に引き上げる案や高齢者の所得のミーンズテストを行い、保険料を引き上げるという案が検討されている。また、メディケアは、介護を必要とする慢性的な患者の長期ケアに対する保障はなく、急性的な患者中心の医療保険制度であり、慢性的な患者に対する保険給付は、最大100日という制限がされている。このため貧しい人々はメディケアによる給付終了後は自己負担となり、最終的にはメディケイドの支給対象者になるといった悪循環が発生しているのが現状である。この問題に対してメディケイドと民間の保険による長期ケア給付の拡大を目指す試みや、メディケアを最大限に利用してもらい、メディケイドの支出を削減しようとする試みが行われ、アメリカも日本と同様に高齢化が進み、医療費の増大などの問題点が起き、拠出と給付のバランスなどの制度改革が課題とされている。
一方では、フランスのように社会保障は職域別に、「一般制度・特別制度・自営者制度・農業制度」と細分化されている国もあり、疾病保険の財源は、全費用の9割以上が保険料で賄われ、保険料が我が国と比べて高いのは、医療給付の範囲が広いことの他に、国庫負担が原則としてないことによって生じているのである。そのため、個人と折半している事業主が負担しなければならない保険料が高く、労働者を雇う基準が厳しく、失業者が増加している傾向にあり、事業者負担を軽減するよう改善が必要あるとされている。
東南アジア一の経済発展国であるシンガポールでは、基本的には最低限度の社会保障しか行わないことを方針としており、その基となっているのが、貧困に苦しむのは個々の自らの努力が足りないからであるという国民意識で「自助努力型」と呼ばれているが、多くの国民は個人で民間保険に加入していることで自衛している。自助努力で生活が困難な場合のみ政府が保障を行っているが、国民意識としては政府から援助を受けることは「恥」であるとして浸透しており、政府自体も役割は福祉ではなく経済成長であると述べているため、公的扶助を中心とした社会保障制度しか存在しないのである。
1883年にドイツで疾病保険法が制定され、税金を財源とするのではなく、社会保険制度内で社会保障を行う政策であり、年金保険と医療保険の二つで社会保険が構成されている。
ドイツはこの他にも失業保険等、社会保障の中核が社会保険であり、公的なものの他にも民間、非営利的なものまで様々な保険が存在し、保険を信頼している国民性が伺え、我が国の介護保険などの例にもなっているほど、高齢社会に安定した実績があるといえよう。
ドイツに対しイギリスは際立った対照性を示しており、ドイツの疾病保険は従前所得の定率保障という能力主義であったが、イギリスの健康保険では定額保障という平等主義を採用し、拠出もドイツは所得比例、イギリスは定額負担方式という、あくまでもベヴァリッジ構想を受け継いだ平等主義を貫いたのである。
また、社会保障を行うための財源が不足している国々では、経済状態が非常に悪く国自体が貧困である故、社会保障をできない国々も少なくない。東南アジアの国々では、他国からの援助を受けても満足した暮らしができない国々もあり、国家間の貧富の差は世界の問題として大きく掲げられるようになってきている。このような国では、福祉が充実せず政府が無関心なため、富者が資金を出して民間施設を設立しているケースも少なくない。
以上のように、社会保障には様々なタイプがあり、国民意識や文化・歴史、国の経済状況により在り方が異なっているのである。アジアを代表する我が国は、戦後の低迷した国民の経済状況や公衆衛生、不労者問題等、様々な問題を解決すべく、ノーマライゼーションの理念に基づく高齢者と障害者への福祉政策、普遍的基礎年金を土台とする2階建ての公的年金制度、働く女性への社会的支援、高齢者医療サービスと福祉サービスとの総合化など、スウェーデンを例にした福祉国家を目指し、充実した社会保障を実現させようと努めたが、経済が急速に発展し、当初税金でカバーしていた財源が、バブル崩壊後国家も国民も財政困難に陥ったことから、事態は一変した。手厚い保障の実施は困難となり、福祉国家を理想としたものの社会保険制度を導入しその枠内で社会保障を行っていくしか方法はなかった。消費税の導入、タバコ税・酒税など各種税金が増税し、国民意識も高額な税金を支払わなければならない福祉国家型より、保険内で支払った者は保障される社会保険型へと変化してきた。
少子高齢化等の社会問題もあいまって、介護保険の導入や医療保険制度の改正が行われ、国民は自助努力を行わなければならないという結果になったが、厳しい経済状況で国民の生活を保障していくために、様々な検討がなされた中での最も有効な方法であったといえる。しかしながら、我が国は今後も少子高齢化は悪化していく一方であることは間違いなく、経済状況を回復させるための確実な改善策も定まっておらず、見通しがたっていないのが現状である。
他国の様々な社会保障の制度や方法を研究し参考としていくのは非常に重要であり、それを応用していくことも時には有効であるが、我が国は他国に例を見ない高齢社会である故、独自の方法で社会保障を見つめ直さなければ、状況は回避できないであろう。
<参考文献>
1996年4月5日発行 柴田 嘉彦 著
「世界の社会保障」
1995年3月10日発行 小林 明子 著
「アジアに学ぶ福祉」
2003年10月15日発行 足立 正樹 編
「各国の社会保障」
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